はじめまして

はじめまして。本島スタンドの来嶋(くるしま)と申します。

こちらでお仕事を始めてからちょうど6ヶ月になります。瀬戸内の島並みを映す海やたなびく雲を眺めながらの通勤に日々心癒されています。

実は私、50年ぶりに本島と関わらせていただいています。尻浜にあった西分校に赴任した教師の両親にくっついて、幼稚園の3年間、3才から6才までをこの本島で過ごしました。「三つ子の魂百まで」私の心の基盤がこの本島で作り上げられたと言っても過言ではありません。私がお魚を大好きなのも、猫に恨まれるほどに丸裸にするまでお魚を食べ尽くすのも本島で幼少期を過ごしたからでしょう。

魚市場のそばで生まれ育った父もお魚が大好きで、西分校での生活は夢のようだったと思います。釣りも大好きで、釣った魚たちを日干しにするのに分校の国旗掲揚台を使い、時々見回りに来られる本校の校長先生に度々叱られていたという話は私のお気に入りです。理科を教えていた父は高いところを飛ばないハエの習性を知っており、絶好の日干しの場を見つけたと、叱られても止められなかったようです。

当時30代前半だった母は、それまでの10年余りの教員生活の中で、今だ自分が登り棒に登ることができるか悶々と考えていたようです。運動場脇に教職員官舎があった西分校で、ある夜その問いの答えを求めて行動してしまったのでした。翌朝教室の黒板には登り棒にしがみつく人の姿が大きく描かれていたとか!! 当時家族で赴任してきた先生たちのことは島の人たちの大きな関心事だったのでしょう。

私といえば、幼稚園が終わった後、職員室で事務のお姉さんの隣に座ってお絵描きをしたり、放課後の高学年のお兄さんお姉さんに遊んでもらったり。優しいお姉さんにもらった紙の着せ替え人形セットのことは今もよく覚えています。自転車の後ろに乗せてもらって走り回った翌日、 それを目撃した人に 「尻の皮がむけてなかったか?」と母が聞かれたそうですが、私はとにかく必死でつかまっていたことと楽しかったことしか覚えがなく、お尻が痛かったという記憶は残っていません。

本島との半世紀以上にわたるこのご縁、運命さえも感じます。本島に戻る機会を与えてくださった方々、私を受け入れてくださった島の方々に心から感謝しています。

本島の名所、歴史も勉強中です。ご来店の際にはお気軽にお声掛けください。

今日は来嶋の思い出話にお付き合いくださってありがとうございます。今後は、本島の魅力や本島スタンドでの豊かな過ごし方をご紹介していきたいと思います。今後共どうぞ宜しくお願いします。