勤番所って何ですか~?

こんにちは。本島スタンドのクルシマです。

本島といえばもれなく聞こえてくる「塩飽勤番所」

今日は勤番所とは何ぞや ! ?という疑問にお答えしたいと思います。

塩飽勤番所は 島の歴史がギュッと詰まった 本島の観光の目玉です。

まずは建物について。

江戸時代中期の寛政の改革後、役所として6年の年月をかけて建築され たのが勤番所です。 もとは、4人の「年寄(としより)」と呼ばれる役人が、一年交代で自宅に朱印状を保管し、他の三人と相談しながら政務にあたっていましたが、建物完成後は 年寄が 数番に分けて当番・非番に分かれて勤 務した ので、勤番所と呼ばれました。

勤番所における業務は、人別帳(江戸時代における戸籍)の整備、人名 650 人の常時確保、廻船御用、水主 の差配、島中の秩序維持、漁場の支配、往来手形の発行などです。 本来ならば天領地として幕府の代官が派遣されるべきと ころを、 塩飽領の場合は独特の人名領ゆえに代官に代わるべきものとして複数の年寄を置き、勤番所で政務をとっていました。

勤番所は通りに面して大きな長屋門、三方を土塀が囲んでいます。主屋正面に政務室、奥は年寄の詰め所と台所、左手が罪人を調べる白洲(しらす:ドラマなどでお馴染みの白い砂利を敷いた場所)、長屋門の右側は番人部屋、左手が罪人を交流していた牢屋でした。

明治23年に塩飽領が、本島村、与島村、広島村、高見島村、佐柳島村の5つの村に分かれた際、本島村役場として使用されるようになり、昭和28年に本島村が丸亀市に併合された後も市役所の支部役場として引き続き使用されていましたが、昭和52年に復元工事が施工され資料館として一般公開されました。

建物は現在も人名650人*の共有であることを知ると、歴史が今に息づき続いていることを感じます。*人名(にんみょう)については「人名って何ですか~?」 https://honjima-stand.com/blog/?p=727 を参考にしてください。

現在「勤番所」と呼ばれる建物は全国でここだけしか残っていない貴重な歴史遺産で、昭和45年には国の史跡に指定されました。昭和57年には、水運史を研究された現令和天皇徳仁様もご訪問され、塩飽水軍の歴史をご研修されました。

それでは、勤番所ではどんな歴史的資料が見られるのでしょうか?

時の権力者である、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康からの朱印状、時代劇ドラマでも有名な名奉行大岡越前守の漁場の境界線を定める裁許書、江戸時代の古地図、広げると10mもある海路図、塩飽水夫を主とする日本人の技術によって初めて太平洋を横断を果たした咸臨丸の模型や乗組員の遺品、中世以前すでに中国との交流があったことが分かる寺山経塚出土品、そしてなんと、遡ること二万年前、氷河期には瀬戸内海がほとんど陸地であったことが実感できるナウマンゾウの化石なども見ることができます。江戸時代の建物の中でナウマンゾウ!レアですね~

展示品の詳しい解説は、今後ひとつづつ取り上げていきます。