本島送り太鼓

こんにちは。本島スタンドのクルシマです。

11月6日、3年に一度の芸術祭が終わりました。最後を盛り上げ締めくくるのは本島では恒例となった送り太鼓です。11月27日、三回目を数えるタコタコフェスティバルでも送り太鼓はたくさんの来島者の方々をお見送りしました。

島を訪れてくださったみなさんへの感謝と、是非また戻ってきていただきたいという気持ちを込めたお見送り。送る私たちもつい涙腺が緩んでしまいます。

丸亀港に向かうほんじま丸、児島港へ向かうむくじ丸、見送りの伴走をする漁船大福丸

今日はこの「送り太鼓」について、太鼓の歴史を交えつつお話したいと思います。

我が国での太鼓の歴史は、「古事記」の一節に、天照大神が岩戸隠れをした際にアメノウズメが伏せた桶のようなものの上で足を踏み鳴らしたという記述があり、これが始まりとなったようです。太鼓の音は雷の音に似ていることから、雷=神鳴り=神の声とされ、神に願いを届けるために打ち鳴らされたとも言われています。

神々の時代から日本に存在した太鼓。私たちがその響きに心動かされるのは日本人としての本能ともいえるかもしれません。

瀬戸内芸術祭において今ではお馴染みとなった本島の「送り太鼓」は、佐渡島を拠点として活躍している「鼓童」という和太鼓集団にヒントを得て始まりました。本島の送り太鼓の曲は島内に教会のある天理教からご指導を受けたものです。その昔天理教の教祖様を本島の漁師が助けたとの言い伝えから本島に教会が置かれ、島内に信者はほとんどいないものの細く長く友好関係を保っています。

「送り太鼓」は、島の有志と天理の方とでグループを作り、2013年の芸術祭で初めて演奏し、2016年も継続、2019年には小学校の児童全員も参加し、瀬戸内芸術祭の公式行事となりました。

今年2022年の芸術祭開催時には子供のみでの演奏に挑戦、力強い感動的な演奏に見送りの旗を振る大人たちも力が入り、島を離れるフェリーから見下ろす来島者の方々にも気持ちが伝わったにちがいありません。

こんなにたくさんの方々が、送り太鼓を見守ってくださいました。

残念ながら3年後までには今の小学生が卒業してしまうため、大人がチームを再編成して受け継ぐ予定だそうです。編成の年齢や人数が変化しつつも島の伝統と言えるようになるまで続いていくことに、微力ながら私もお手伝いしたいと思っています。

海上からの見送り「大福丸」