【来迎寺(らいこうじ)】

来迎寺は本島では、専称寺とともに数少ない(2ヶ寺)浄土宗の寺。建永2(1207)年、法然上人が配流された折、笠島にしばらく逗留(とうりゅう)された後、丸亀へ渡られる前に、この地にて専修念仏(せんしゅうねんぶつ)の教えを説かれた遺跡です。後年、荒れ果てていた庵室(あんしつ)を、永禄年間(1558~1570)に吸誉上人(きゅうよしょうにん)という高僧が法然上人の旧跡をたずねて、この地に来られ、寺を復興したのがこの来迎寺です。
本尊は阿弥陀如来立像で鎌倉時代の作とされ、安阿弥(あんあみ:快慶の号のこと)様式と呼ばれるもので、市の指定文化財になっています。また絹本著色阿弥陀浄土変相図、絹本著色阿弥陀如来二十五菩薩来迎図、絹本著色阿弥如来図の仏画三点も市の文化財に指定されています。
このほか、法然上人自筆と伝える色紙と「名残の卸影」がありますが、これは上人が、丸亀へ渡る折、名残りを惜しむ笠島城主に形見として残されたもので、後に城が落城した年(1348)、家来の中張氏に託したものです。
墓地には、関ヶ原の戦いに敗れて塩飽に逃れた宇喜多直晁(うきたなおあき)と郎党の墓や、年寄宮本清三郎の墓があります。