
【年寄の墓(宮本家)】 国指定文化財/日本遺産構成文化財
「年寄」の制度が確立した当初は世襲制で4家(宮本、入江、吉田、真木)が政務を執っており、そのうち真木家を除く3家の墓が泊地区と笠島地区にある。最も大きな壁は、寛永4年(1627)tに建てられた初代年寄宮本伝太夫の墓。 ※世襲制(せしゅうせい)とは、子孫が代々特定の地位や職業、財産等を継ぐこと

【埋墓】
塩飽諸島では遺体を埋葬する墓と、お参りする墓を分ける両墓制(りょうぼせい)という習慣が昔からとられていた。江戸中期以降この風習は徐々になくなり、現在本島ではここだけでしか見ることができなくなった。