毎日、瀬戸内海を眺めていても飽きない米津です。ある日は少し、靄がかかって、瀬戸大橋がくすんでいるな~。という日があれば、ある日は空気が澄んでいてくっきりとした海の色で綺麗だな~。という時もあり、日々、瀬戸内海に癒されております。
そんな瀬戸内海に浮かぶ本島で
月に2回、それも約2時間しか現れない絶景スポット“園の洲”について
ご紹介させていただきます。
▼園の洲とは
「園の州(そののす)」と呼ばれる海底地形。
潮差が最大になる大潮の干潮。
干潮の前後約2時間のみ、海面に姿を現す砂浜があります。
塩飽諸島の本島と広島の間に位置し、
広さは南北約二キロ、東西約八百メートルといった大きな洲です。
ここは傾斜が複雑な遠浅の地形のため、
潮が満ち始めるとあっという間に浸水してしまいます。
数十年前までは
知る人ぞ知る、潮干狩りスポットだったそうです。
主にはあさりや赤貝、マテ貝などが獲れ、多い時には
人間で洲が埋め尽くされるほどまでいたそうです。
今は、周辺での海砂採取による生態系の変化、過剰採取が要因で
潮干狩りは行ってないそうです。
園の洲は地元の方には観光スポットとして誇れる存在だそうですが
漁師さんにとっては潮の流れが早いため気をつけないと船が乗り上げてしまう難所でもあったそうです。
▼園の洲という名の由来
約350年前のこと。
本島の福田地区に代官というお偉いさんがおりました。
代官の厳しい年貢の取り立てに困った村人たちは、
3月3日のひな祭りの日に代官を沖の砂浜(園の洲)へ潮干狩に誘い出し
そこで酒宴を開きました。
その後、村人たちは酒に酔って眠った代官を、一人砂浜に置き去りにして船で帰って行きました。
一人残された代官は帰るすべもなく、ついには溺れ死んでしまいました。
その代官には、お園(おその)という一人娘がおり、このことを知ったお園は、
洲の見える岬に駆け登り断崖に突き出ている松の木にすがりつき、
洲を見つめたまま泣き崩れてしまいました。
翌朝、お園の姿は見当たらず、断崖から身を投げたのか松の根元には
草履だけが残されていました。
それから、沖の洲利を「園の洲」と呼ぶようになりました。
悲しい物語が由来となってしまいましたが
これもまた本島の歴史ある物語として
受け継いでいくべきだと感じます。
▼園の洲からみた景色
今回は、園の洲の撮影の為に
本島の漁師さん“大石さん”の漁船に乗船させていただきました!
手を伸ばすと海。船の先頭に立って風を感じるだけで、心のモヤモヤがなくなるような感覚に。海を見ているとぴょんと魚が飛び跳ねるのも見ることができました!(写真に収めることができなくて悔しいですが。。)
個人的には、ここ最近で一番楽しかった体験となりました。
気持がいい潮風を浴びながら、青く透き通った海を眺めること約5分。
海の真ん中に鳥が。
すでに潮が引いていました。
次々とかもめや鵜がたくさん寄ってきます。
鳥たちの餌となる貝や魚がたくさんいるのだとか。。。
夜になるとライトアップされ「夜景100選」にも選ばれている所ですが
園の洲から見るお昼間の水島工場地帯も綺麗だな。と感動しました。
瀬戸大橋をボーっと眺めるのが好きな私は
いつもと違った角度から瀬戸大橋を見れただけでも心打たれました。
今まで園の洲ってそんなに感動するのかな。と思っていた私ですが
笠島の保存地区や塩飽勤番所と並んで、本島に誇れる観光スポットだと実感しました。今後も月に2回しか見れないという希少性の高い絶景スポットとして、広めていきたいと思っております!